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「ユーミン乾杯!!」特典映像
楽曲ゆかりの地 レポ
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ユーミンのデビュー50周年のファイナルを飾る、日本ポップス史上初のコラボベストアルバム「ユーミン乾杯!!」が12月20日(水)にリリースされることが決定しました!

こちらでは、50周年記念コラボベストアルバムの特典映像に収録されている楽曲ゆかりの地をレポした記事をお届けします。

 
このたび名曲が生まれる発想の元となったユーミン所縁の地へ、管理人自ら足を運びレポしました。

特典映像順に掲載しますので、ご覧ください。

またご協力いただきましたご愛読者さまには、感謝申し上げます。



※東京都内の撮影は、管理人により2024年1月21日に実施

※大阪府箕面市内のミスタードーナツの撮影は、管理人により2024年1月14日に実施
 
 
 
『SATURDAY NIGHT ZOMBIES』は、ライブヴァージョンを元に原曲マルチのユーミンの歌声にラップを被せトラックを新たにアップデート。そのライブとは、松任谷由実デビュー40周年を祝うライブイベント「Anniversary For Yuming~Golden Circle Vol.17~」(2013年1月3日 日本武道館にて開催)であります。

RHYMESTERのレトリックは都々逸と云われたユーミン、楽曲は待望の音源化であると共に、この企画のスタートとして重要となりました。
 
 
映像シーン&ユーミンコメント~六本木~
 

「このビルくさいし、あれっぽくもあるけど」→ビルを指さし説明されるシーン

六本木WOOビル前
 

「3階だか5階だかにバーがあって」→亡くなられたウガンダさんのバーのことで、そこから墓地(六本木墓苑)が見えたそう。

六本木須藤ビル前
「ひょうきん族の時代よりもっと前、完全な大人なお洒落な街だった」→六本木の裏路地を歩きながらのコメント
六本木3丁目の裏路地
焼き鳥とワイン源moto
「この店はよくきた、名前が変わってなければなんという店名だったか」→階段あがったところのバーを指さして
六本木3丁目の階段
六本木3丁目の階段
六本木3丁目のバー入口
映像シーン&ユーミンコメント~西麻布~
 

「こんなとこ歩くの500年ぶりだ」→旧霞町現在の西麻布を歩いての言葉だった

西麻布のビル
 

「30(歳)ちょいぐらいな時ですよ、いやな奴だったと思いますよ」→旧霞町を歩きながら云われた

西麻布
 
 
 
 
ユーミンがずっと応援しているGLIM SPANKYに楽曲依頼したのは、『真夏の夜の夢』。

ラテン曲中濃度高めの原曲が、サイケデリックな新解釈でガレージロック風となり、あの有名なリフレインを使用せずに亀本寛貴氏の新たなギターリフを追加、原曲とは全く違う60~70年代の荒さのある世界観を見事に創出されました。
 
 
映像シーン&ユーミンコメント~神保町ラドリオ~
入口から入ってくるところからのシーン
ラドリオの看板
客席から見た入口

「御茶美の先輩がよく集まっていた。色んな喫茶店があったから、色んなところ(お店)に行っていた。」→ラドリオ店内でのインタビューは、写真の席であった。

ユーミンがインタビューされた席
 
 
 
 
倍音成分大好きだよねとユーミンに言わしめるくるりに、是非やってほしかった『輪舞曲(ロンド)』。

オリジナル曲のアレンジの完成度におののきつつも、中東のタバコの煙がゆらめくクラブで深夜にプレイされる様な妖しい雰囲気に見事にリハーモナイズされた楽曲となりました。
 
 
映像シーン&ユーミンコメント~山の上ホテル~
 
「山の上ホテル」2つの看板
甲賀通りに沿った石畳の歩道
甲賀通りに沿った石畳の歩道
山の上ホテル正面玄関
山の上ホテル全景

「様子は変わってるけど坂の感じは傾斜は一緒だから、身体が覚えている感じはあるよね。向こうからも上がれるんだけど。反対側に錦華公園っていう小さい公園があって、とても雰囲気があるんですよ。都会の谷間にあってそこのイメージの曲は、何曲もある。「白い朝まで」と「いちご白書をもう一度」。そこの公園の話なんですよ。」→山の上ホテルに向かう途中にある明治大学リバティタワーの甲賀通り側でのコメント

明治大学リバティタワー

「これが旧館です、紛れもなく。アールデコな感じでいいよね。」→インタビューを受けながら説明するユーミン

山の上ホテル全景
 
 
 
 
映像シーン&ユーミンコメント~御茶の水美術学院~
 
御茶の水美術学院正面玄関
正面玄関横
御茶の水美術学院から見えるかえで通り
 
 
 
 
※神田カルチェ・ラタン闘争(かんだカルチェ・ラタンとうそう)は、1968年6月21日に社会主義学生同盟(社学同。共産主義者同盟の学生組織)が東京神田駿河台の学生街で起こした解放区闘争。駿河台の明大通り2か所にバリケードを築いたが機動隊に突破された。
 
映像シーン&ユーミンコメント~錦華公園~
 

「東京のカルチェ・ラタンと呼ばれていたんですよ」→歩きながらコメントしたあたり

山の上ホテル裏手
「この公園(錦華公園)をつっきると神保町になるの。」→インタビューに応えたユーミン
錦華公園前
山の上ホテルと錦華公園の間
 
映像シーン&ユーミンコメント~とちの木通り~
 

「これがマロニエ通りって、アテネ・フランセまで続くんだけど、パリっぽいでしょ。」→とちの木をフランス語でマロニエと云う

錦華坂からとちの木通りに差し掛かる横断歩道
「それが文化学院跡、違うものになっちゃったのかな。」と指さすユーミン→現在の日本BS放送の建物
日本BS放送前
日本BS放送前
「御茶ノ水がパリ」というユーミン→駿台予備学校お茶ノ水校2号館を背景にしたユーミンが映し出された
駿台予備学校お茶ノ水校2号館
駿台予備学校お茶ノ水校2号館
 
 
 
ユーミン曰く「一番好きなアルバム」の主題曲を、YONCEは正反対の生理的解釈で南米の湿度が高いアレンジに昇華。

ユーミンが音楽遍歴として唯一通っていないという”90年代のオルタナティブな感覚”をミックスしてみせたとのことです。手紙では、感謝の気持ちを伝えていたユーミンでありました。
 
映像シーン~ユーミンインタビュー~
 

インタビューされていた場所。特典映像のクレジットに、場所の記載はありません。

インタビュー場所
 
 
原曲のヴォーカルトラックを継ぎはぎしてコーラスを作り、トラックは最新のR&Bテイストにアップデート。

オリジナルの荒井由実とのデュエットも行うという、とんでもない熱量をかけて完成させました。ユーミンをして「岡村靖幸の真髄が出た」と言わしめる程の完成度となりました。
 
 
映像シーン&ユーミンコメント~成城学園駅前~
「(ミスタードーナツが)線路端にあったことは確かで」→インタビュアーが成城学園駅前 バスロータリー(踏切跡地)を指して、ユーミンが回答
インタビューを受けている場所あたり
以前ミスタードーナツがあったあたり?
「初代マネージャーの島ちゃんたち、その仲間たちが成城にいたんですよ。全然建物とか無いところにぽっかりと、アメリカンっぽいものができたから雰囲気いいなと思っちゃって。」→インタビューを受けてのユーミンが回答
成城学園駅前の西口バスロータリー
インタビューを受けている場所
 

「最終の電車が♪って、小田急線なんですよ。」

新宿駅に停車中の小田急線急行
ユーミンコメント~ミスタードーナツ第一号店~
「今ミスタードーナツってイメージが違うかもしれないけど、70年代終りにできたのかな?第一号店みたいのが。ドーナツだけやってって夜中までやってるって、どういうこと?アメリカがそのまま入ってきたみたいな感じ。」

→1971年(昭和46年)4月2日。阪急電鉄箕面線の箕面駅から徒歩約3分にあったショッピングセンター(ダイエー)の一角に、ミスタードーナツ日本初のお店として「箕面パイロットショップ」が誕生しました。ミスタードーナツ1号店は、現在も誕生の地で営業されています。管理人は、ユーミンのコメントを聴いて行ってきました。
ミスタードーナツ1号店
1号店の看板
阪急電鉄箕面線箕面駅
 
 
 
小室哲哉のパイプオルガンとストリングスの掛け合い、イビザの明け方を思わせる4つ打ち。

そこに乃木坂46のイノセンスな歌声と原曲のユーミンの声がミックスされることにより、天使の歌声を思わせる神聖な「守ってあげたい」が誕生しました。MIXはGOH HOTODA氏が担当。
 
 
 
映像シーン&ユーミンコメント~東京メディアシティ(TMC)スタジオ~
 
ここよく来られてましたか?とのインタビュアーに「そうですね、80年代。よくでもないけど、何か撮影があるときのひとつ。」 「今回の小室さんのヴァージョンは、ハモンドオルガンみたいのが出だしにフィーチャーされているし、強調されているかもしれませんね。」 「大聖堂の中で、ヘンデル(後期バロック音楽の著名な作曲家の一人)を聴いているかのような感じになると思います。」
 
東京メディアシティの看板
コメントしていた場所
コメントしていた場所
コメントしていた場所
案内板
 
 
 
小田和正、財津和夫、ユーミンという超豪華アーティストによる”元祖コラボ”と言える曲。

坂本龍一が編曲プロデュース、高橋幸宏、高中正義、後藤次利という元サディスティックミカバンドのメンバーも集結。このメンバーに加藤和彦を加え、ALL TOGETHER NOWでの伝統的パフォーマンスに繋がりました。

GOH HOTODA氏によるリマスターにより、待望のCD化が実現した楽曲です。
 
 
映像シーン&ユーミンコメント~国立競技場横~
「当時、ニッポン放送の亀淵さんが発案して~」→国立競技場横を歩きながら話すユーミン
国立競技場
国立競技場横の歩道
 

「そういうイベントやるんだったらなんか新曲やったらって、松任谷さんが」→仙寿院の交差点でインタビュー

仙寿院の交差点
 
 
 
世界を股にかけて活躍する国際的DJ”ロシアのテクノクィーン”との国境を超えたコラボ。 90年代のJ-POPを代表する「春よ、来い」と同時代のアンビエントテクノ(一般的なテクノで使用されるシンセサイザーやドラムマシンの音をより不明瞭にした音を特徴)が、Nina Kravizによって見事に現代に接続されました。
 
 
映像シーン~ユーミンインタビュー~
 
インタビューされていた場所。特典映像のクレジットに、場所の記載はありません。
インタビュー場所
インタビュー場所
 
 
YOASOBIの「中央フリーウェイ」は、近未来の中央フリーウェイの上空を、まるでYOASOBIとユーミンの3人が最新の電気自動車でドライブしている様。 『小説ユーミン』を原作に新たに加えられた歌詞と共にキャッチ―なコーラスも追加され、ピカピカの2023年ヴァージョンとして生まれ変わりました。 ユーミンも「さすが旬!!まさに私とYOASOBIとの”乾杯”です!!」と絶賛。
 
 
 
映像シーン~神保町ラドリオ店内~
 
インタビュー後の映像には、ラドリオ店内にサインをするシーンが映しだされた。現在、サインされた壁には透明アクリル板が掛けられている。
ユーミンのサイン
ユーミンのサイン