ユーミンのデビュー50周年のファイナルを飾る、日本ポップス史上初のコラボベストアルバム「ユーミン乾杯!!」が12月20日(水)にリリースされることが決定しました!
こちらでは、50周年記念コラボベストアルバムの特典映像に収録されている楽曲ゆかりの地をレポした記事をお届けします。
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プロローグ
「懐かしい未来、新しい過去」をコンセプトに、ユーミンのオリジナルマルチテープを開放し、今のアーティストがそれぞれの解釈でスクラップ&ビルド、楽曲を再構築するという、世界にも類をみない新しい形の”コラボベストアルバム”が完成しました。
『ユーミン乾杯!!」初回限定盤 A・Bには、特典映像が付いています。それは・・・
「“ユーミン返杯”参加アーティストへ~ユーミンからのメッセージ~」では、今作に参加してくれたアーティストへ、ユーミンからの“返杯”として、感謝のメッセージを綴った直筆の手紙を紹介。ユーミンが自ら読み上げています。
加えて、楽曲ゆかりの地を巡り、ユーミン自身が楽曲への感想、原曲の制作秘話や、それに纏わるエピソードを語るという内容。「ユーミン乾杯!!」に参加したアーティスト、楽曲への思いと共に、ユーミンの創作を垣間見ながら今作を感じられる映像作品です。
インタビューは、数々の名曲が生まれる発想の元となった、様々なユーミン所縁の場所で行われました。
特典映像順に掲載しますので、ご覧ください。
またご協力いただきましたご愛読者さまには、感謝申し上げます。
※東京都内の撮影は、管理人により2024年1月21日に実施
※大阪府箕面市内のミスタードーナツの撮影は、管理人により2024年1月14日に実施
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RHYMESTER cheers 松任谷由実
『SATURDAY NIGHT ZOMBIES』
RHYMESTERのレトリックは都々逸と云われたユーミン、楽曲は待望の音源化であると共に、この企画のスタートとして重要となりました。
かつての六本木と西麻布での夜遊びから生まれた。
映像シーン&ユーミンコメント~六本木~
「このビルくさいし、あれっぽくもあるけど」→ビルを指さし説明されるシーン
六本木WOOビル前
「3階だか5階だかにバーがあって」→亡くなられたウガンダさんのバーのことで、そこから墓地(六本木墓苑)が見えたそう。
六本木須藤ビル前
六本木3丁目の裏路地
焼き鳥とワイン源moto
六本木3丁目の階段
六本木3丁目の階段
六本木3丁目のバー入口
映像シーン&ユーミンコメント~西麻布~
「こんなとこ歩くの500年ぶりだ」→旧霞町現在の西麻布を歩いての言葉だった
西麻布のビル
「30(歳)ちょいぐらいな時ですよ、いやな奴だったと思いますよ」→旧霞町を歩きながら云われた
西麻布
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過去の聖地巡りを思い起こして~西麻布
西麻布での聖地巡りで思い起こすのは、2010年11月に伺ったのが「スポーツトレインカフェ」です。
創業1972年の老舗、俳優で夕日評論家の油井昌由樹氏が経営する2Fはバー、3Fはアウトドア関連用品の入っているビルで、1階のカフェがスポーツトレインです。そのカフェの入口すぐのところで毎週火曜、Ustream中継をされていました。2010年10月にはじめたばかりで、番組名は「西麻布2丁目の窓」。そこに2010年10月26日(火)21時ごろ、ユーミンが登場されそのまま台本もない本当の生放送がはじまりました。内容は、当時制作の真っ最中だった「Road Show」のことでした。
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GLIM SPANKY cheers 松任谷由実
『真夏の夜の夢』
ラテン曲中濃度高めの原曲が、サイケデリックな新解釈でガレージロック風となり、あの有名なリフレインを使用せずに亀本寛貴氏の新たなギターリフを追加、原曲とは全く違う60~70年代の荒さのある世界観を見事に創出されました。
斜め向かいの「ミロンガ」と共にユーミンの学生時代の想い出の場所であると同時に、創作に多大な影響を及ぼしてきた。
映像シーン&ユーミンコメント~神保町ラドリオ~
ラドリオの看板
客席から見た入口
「御茶美の先輩がよく集まっていた。色んな喫茶店があったから、色んなところ(お店)に行っていた。」→ラドリオ店内でのインタビューは、写真の席であった。
ユーミンがインタビューされた席
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過去の聖地巡りを思い起こして~神保町ラドリオ
第460回うそラジオ(2010年6月25日~7月1日オンデマンド放送)で話題になった神保町のラドリオ。2010年8月、初めて伺いました。お店は61年創業、床のレンガを変えたぐらいであとはほぼ昔からのまま。その日は新人さんがおられ、細かに指示を受けサービスをされてましたが、「コーヒーを一つだけ持っていくなら両手を添えて」の上の方の言葉は印象的でした。昼すぎには「チャリン~チャリン~」とドアの開く音が多くなってきました。
第765回うそラジオ(2016年4月29日~5月5日オンデマンド放送)で話題になった、喫茶ミロンガ。2016年8月に、伺いました。ユーミンは4月10日(日)ZAZZYさんのライブを観に神保町までやってこられ、ご一行で時間つぶしにミロンガに入店されました。「煙もくもく」「学生たちがいる」「タンゴが流れている」と話題にされました。
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くるり cheers 松任谷由実
『輪舞曲(ロンド)』
オリジナル曲のアレンジの完成度におののきつつも、中東のタバコの煙がゆらめくクラブで深夜にプレイされる様な妖しい雰囲気に見事にリハーモナイズされた楽曲となりました。
ホテルの前の道は、かつての通学路でもある。アールデコ調の外観も美しく数々の文豪にも愛された“文化人のホテル”である。
映像シーン&ユーミンコメント~山の上ホテル~
「山の上ホテル」2つの看板
甲賀通りに沿った石畳の歩道
甲賀通りに沿った石畳の歩道
山の上ホテル正面玄関
山の上ホテル全景
「様子は変わってるけど坂の感じは傾斜は一緒だから、身体が覚えている感じはあるよね。向こうからも上がれるんだけど。反対側に錦華公園っていう小さい公園があって、とても雰囲気があるんですよ。都会の谷間にあってそこのイメージの曲は、何曲もある。「白い朝まで」と「いちご白書をもう一度」。そこの公園の話なんですよ。」→山の上ホテルに向かう途中にある明治大学リバティタワーの甲賀通り側でのコメント
明治大学リバティタワー
「これが旧館です、紛れもなく。アールデコな感じでいいよね。」→インタビューを受けながら説明するユーミン
山の上ホテル全景
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過去の聖地巡りを思い起こして~山の上ホテル
第340回うそラジオ(2008年2月29日(金)~3月06日(木)オンデマンド放送)でお話が出た山の上ホテル。
2008年2月苗場の休演日に、都内でポリスを観るために下山したユーミンたち。コンサート前に時間があったので、ユーミンの一言で山の上ホテルでお茶をすることになったそうです。「思い出のホテルなんですよ。」とユーミンが云われるように、独身時代や結婚当初は山の上ホテルに泊まってそこから仕事に行くというほどだったそうです。うそラジオでユーミンは、当時のメニューでサーモンピラフを懐かしそうに語っておられました。
ユーミンをはじめ数々の有名人を輩出する歴史ある芸大・美大受験予備校。
映像シーン&ユーミンコメント~御茶の水美術学院~
御茶の水美術学院正面玄関
正面玄関横
御茶の水美術学院から見えるかえで通り
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過去の聖地巡りを思い起こして~御茶の水美術学院
山の上ホテルからJR御茶ノ水駅に向かって5分ぐらい歩きますと、御茶ノ水美術学院に辿りつけます。管理人は、山の上ホテルのご近所でしたので行ってきました。1960年後半から70年初め、ユーミンは御茶ノ水美術学院に通っていました。美術大受験のためでしたが、学生運動が盛んな時期に大変だったと思います。どちらも2008年6月決行
予備校帰りのユーミンが読書のために訪れていた公園であり、
ここで「いちご白書をもう一度」や「白い朝まで」などの名曲が生まれた。
学生運動が激しかった頃、この界隈は“日本のカルチェラタン“とも称されていた。
映像シーン&ユーミンコメント~錦華公園~
「東京のカルチェ・ラタンと呼ばれていたんですよ」→歩きながらコメントしたあたり
山の上ホテル裏手
錦華公園前
山の上ホテルと錦華公園の間
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過去の聖地巡りを思い起こして~錦華公園
錦華公園のことは、2007年SURF&SNOW in Naeba Vol.27 4日目の2月9日(金)ネットパーティーのある生ライヴ中継があったリクエストコーナー。 ネットからのリクエストで、『白い朝まで』(1978年紅雀(べにすずめ))がリクエストされました。ユーミンは、『この曲(白い朝まで)は、御茶ノ水の錦華公園というヒルトップホテルの下ぐらいに明治大学があってその谷間に公園がある、そこの風景をあれだったので。なんとなく雰囲気を味わってみたかったら行って下さい。』と紹介されました。
映像シーン&ユーミンコメント~とちの木通り~
「これがマロニエ通りって、アテネ・フランセまで続くんだけど、パリっぽいでしょ。」→とちの木をフランス語でマロニエと云う
錦華坂からとちの木通りに差し掛かる横断歩道
日本BS放送前
日本BS放送前
駿台予備学校お茶ノ水校2号館
駿台予備学校お茶ノ水校2号館
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YONCE cheers 松任谷由実
『真珠のピアス』
ユーミンが音楽遍歴として唯一通っていないという”90年代のオルタナティブな感覚”をミックスしてみせたとのことです。手紙では、感謝の気持ちを伝えていたユーミンでありました。
映像シーン~ユーミンインタビュー~
インタビューされていた場所。特典映像のクレジットに、場所の記載はありません。
インタビュー場所
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岡村靖幸 cheers 松任谷由実
『影になって』
オリジナルの荒井由実とのデュエットも行うという、とんでもない熱量をかけて完成させました。ユーミンをして「岡村靖幸の真髄が出た」と言わしめる程の完成度となりました。
映像シーン&ユーミンコメント~成城学園駅前~
インタビューを受けている場所あたり
以前ミスタードーナツがあったあたり?
成城学園駅前の西口バスロータリー
インタビューを受けている場所
「最終の電車が♪って、小田急線なんですよ。」
新宿駅に停車中の小田急線急行
ユーミンコメント~ミスタードーナツ第一号店~
→1971年(昭和46年)4月2日。阪急電鉄箕面線の箕面駅から徒歩約3分にあったショッピングセンター(ダイエー)の一角に、ミスタードーナツ日本初のお店として「箕面パイロットショップ」が誕生しました。ミスタードーナツ1号店は、現在も誕生の地で営業されています。管理人は、ユーミンのコメントを聴いて行ってきました。
ミスタードーナツ1号店
1号店の看板
阪急電鉄箕面線箕面駅
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乃木坂46 cheers 松任谷由実(produced by 小室哲哉)
『守ってあげたい』
そこに乃木坂46のイノセンスな歌声と原曲のユーミンの声がミックスされることにより、天使の歌声を思わせる神聖な「守ってあげたい」が誕生しました。MIXはGOH HOTODA氏が担当。
映像シーン&ユーミンコメント~東京メディアシティ(TMC)スタジオ~
東京メディアシティの看板
コメントしていた場所
コメントしていた場所
コメントしていた場所
案内板
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松任谷由実 小田和正 財津和夫
『今だから』
坂本龍一が編曲プロデュース、高橋幸宏、高中正義、後藤次利という元サディスティックミカバンドのメンバーも集結。このメンバーに加藤和彦を加え、ALL TOGETHER NOWでの伝統的パフォーマンスに繋がりました。
GOH HOTODA氏によるリマスターにより、待望のCD化が実現した楽曲です。
映像シーン&ユーミンコメント~国立競技場横~
国立競技場
国立競技場横の歩道
「そういうイベントやるんだったらなんか新曲やったらって、松任谷さんが」→仙寿院の交差点でインタビュー
仙寿院の交差点
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Nina Kraviz, Yumi Matsutoya
『春よ、来い (Nina Kraviz Remix)』
映像シーン~ユーミンインタビュー~
インタビュー場所
インタビュー場所
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YOASOBI cheers 松任谷由実
『中央フリーウェイ』
映像シーン~神保町ラドリオ店内~