ユーミン 松任谷由実 大好き!神戸っこ

ユーミン 大好き!神戸っこは、ユーミンこと松任谷由実さんを応援するファンサイトです。

公演初日の管理人レポ


2015年秋、アルファミュージックレーベルの創始者である村井邦彦氏の呼びかけにより、伝説のレーベルの豪華アーティストたちが、一度限りの集結をいたします。
こちらでは、公演初日のアルファミュージックライブ 管理人レポをお届けします。

公演初日
演出家の気持ち

アルファミュージックライブの初日2015年9月27日(日)、曇りがちの神戸。東京は雨らしい。
ネットを見ると演出家が更新していた。正直な気持ち(笑)なんだろう・・・

当日券販売の状況
当日券売場 オーチャードホール 入口

9月27日新幹線乗車中の12時ごろ、何気にネットを閲覧していると『当日券若干枚数販売』とありました。気になり窓口へ行ってみること16時、6名の方々が並んでおられました。でも若干枚数が気になるところですが・・・

開場・開演・終演の案内
オーチャードホール 入口

多くのアーティストが出演なので、こちらの案内には少し不安もありました。

公演前半

管理人レポにつきまして、現地でのメモによっての書き起こしとなります。表現の違いなどありますが、ご了承ください。また出演者等のお名前は、敬省略をお許しください。

  • 2015年9月27日、Bunkamuraオーチャードホールに一時代を築いたミュージック界のレジェエンドたちが集合

    • アルファミュージック、アルファレコード創設者村井邦彦氏の古稀を祝うためだ。定刻になっても始まることなく、それでもオーディエンスはざわつくことなく待っていた。そして20分押しの18時50分、場内が暗転となりジョン・カビラの声で「First Presenter is Yumi Arai!」とプレゼンテータートップバッターで本日限定の荒井由実を紹介した。サンドベージュ×シャンパンカラーの肩出しドレス(ドレスの色はグレージュかと思われる)、首からデコルテにかけてビジュー、左中指にダイアモンド、大ぶりのイヤリング、ヘアスタイルは前髪ひっつめの夜会巻きという感じのユーミン。
      「こんばんは、その昔、1969年にその会社はでき上がりました。 最初、創業者はギリシャ文字のε(イプシロン)でいこうとしたのだそうですけど、 それなら一番最初の文字であるαがいい、とのアドバイスがあり、アルファとなったそうです。こうしてアルファミュージックは小さな出版社、原盤会社として、でも大きな野望を持ってスタートしました。 アルファ一番最初の版権はあの「マイウェイ」、そして一番最初に作家として契約したアーティストは高校生だった私、当時の荒井由実でした。〜〜〜さて、今夜はその十数年を振り返りながら、特に関わり合いの深かったアーティストたちが唄い演奏します。〜〜〜それぞれ、ほんの1−2曲という少ない曲の中でのショーになりますが、 あの時代、日本のポップシーンにとって重大な時代を駆け足でお見せできるものと信じています。ではまずトップバッターを紹介しましょう。私の作品を世に出してくれたある意味恩人でもあり、 40年ちょっとの私のキャリアの中で、初めて紹介させてもらうことになります。 ザ・タイガースのトッポこと、加橋かつみさんです。」
      加橋かつみは、1971年当時17歳だった荒井由実が提供した曲『愛は突然に』を歌唱。演奏は、上手からキーボード武部聡志、ギター鳥山雄司、ベース須長和広、ドラム河村"カースケ"智康、キーボード本間 昭光、パーカッション浜口茂外也が配置されたハウスバンド。武部聡志のキーボードから始まり、間奏と終奏には、鳥山雄司のギターが入った。 そしてMC「こんにちは、加橋かつみです。ようこそいらっしゃいました。1969年って僕にとって色んなことがあって〜〜〜今日サリー(岸部一徳さん、元タイガースのベース)がきてくれてるんです。サリーきてる?『いるよ!』サリーいる?『2階にいるよ』〜〜〜」とグループサウンド時代の同期だった岸部一徳さんを紹介。その後の話は、ミュージカルヘアー出演時に、ユーミンと出会ったことなどが語られた。
      2曲目には、1970年リリース作詞は自身で作曲には村井邦彦の『花の世界』を歌唱。演奏は引き続きハウスバンド。
  • 次にプレゼンテーターとして登場したのは吉田美奈子

    • MCの内容は、1973年レコード録音時の演奏がTin Pan Alleyだったこと、ヤマハコンテストで2位になった赤い鳥をプロにと口説き落としたのは村井邦彦さんだったことなど話された。そして赤い鳥が、ステージセンターへ入ってきた。
      「こんばんは」と平山泰代が一言を発したのち、後藤悦治郎のギター伴奏が始まった。歌は『竹田の子守唄』である。後藤悦治郎の歌唱時、バックコーラスで高々に発していた平山泰代は圧巻だった。
  • 次のプレゼンテーターは安藤和津!なんと綺麗な方だ

    • MCの内容は、47年前の20歳ぐらいのときにミュージカルヘアーのオーディションに受かりそこで出会ったのがガロの3人であったと話された。最後に「あえてグループ名で紹介します!ガロです!」との後、大野真澄が登場した。
      MC「こんばんは、ガロです。僕たちガロは、今安藤さんが云ったみたいにミュージカルヘアーをきっかけに結成されました。〜〜〜」曲は、シングル3枚目村井邦彦作曲『美しすぎて』を歌うのではなく、そのB面『学生街の喫茶店』を紹介。作詞山上路夫、作曲すぎやまこういちで1972年リリースを、ハウスバンドが演奏。そしてコーラスには、須藤美恵子、松岡奈穂美、今井マサキ。間奏に本間 昭光のキーボード、終盤には鳥山雄司のギターが入った。
  • 次にプレゼンテーターとして登場したのは服部克久

    • MCの内容は、父である故服部良一さんのヒット曲を雪村いづみが歌唱、アレンジなどを担当したのがTin Pan Alleyとご自分だったと、そのアルバムが『SUPER GENERATION』と話された。最後「〜〜〜そろそろセッティングは終わったかなという感じです。それでは雪村いづみさんをご紹介します。雪村いづみさん、そして伴奏はもちろんTin Pan Alleyです。」大きな拍手の中、真っ赤なドレスに身を包んだ雪村いづみがステージセンターに登場。演奏はTin Pan Alleyと武部聡志のキーボード。上手からキーボード武部聡志、ギター鈴木茂、ドラム林立夫、ベース細野晴臣、ピアノ松任谷正隆、そして細野晴臣の後ろにはコーラス須藤美恵子が配置。
      歌う曲はSUPER GENERATIONから、まずは『蘇州夜曲』。間奏に鈴木茂のギター、須藤美恵子のコーラスが入った。続いて松任谷正隆のピアノからスタート、『東京ブギウギ』。間奏には、鈴木茂のギターが入った。楽曲終了後、「終わったの?ごめんなさいね。〜間違えたの。」と雪村いづみの一言。何を間違えられたのか、わからない迫力ある歌唱とパフォーマンスであった。上手から服部克久が登場し、雪村いづみをエスコートして退場。
  • 次のプレゼンテーターは、野宮真貴

    • 「こんばんは、野宮真貴です。〜〜〜私はアルファレコードとは、関わり合いはありません。ではなぜプレゼンテーターをしているかと云うと〜〜〜さて、この人のデビューは72年。初めてのシングルは300枚しか売れなかったと聞きます。歌が苦手でレコーディングにはそうとう苦労したようです。ビブラートを無くすように言われレッスンをし、ファーストアルバムはなんと1年近く歌入れをしていたと聞きます。後に結婚をし名前を変えて活動することになるのですが、 今日は昔の名前で紹介しましょう。荒井由実!」
      全身真っ黒、着丈の短い黒のジャケット、黒のワイドパンツ(セットアップ)、黒地に白のピンドットのシフォンブラウス?リボン?、黒のボルサリーノ帽(アラームアラモードのジャケットのユーミンのようなイメージ)、スカルのスパンコールのラぺルピン、揺れ動くパール?のイヤリング、真っ白な顔に真っ赤なルージュそして全身黒!のユーミンが、ピアノに向かって座っている。幕が上がりすぐにユーミンのピアノ伴奏で始まったのは、『ひこうき雲』。1973年リリースで、村井邦彦がプロデュース。演奏はもちろんTin Pan Alley、コーラスには須藤美恵子、松岡奈穂美、今井マサキ。間奏に鈴木茂のギター、松任谷正隆のピアノが入った。
      続いてのユーミンのMC、座って客席に向けて「どうもありがとうございました。なんだか夢のようです。今回のこのライブは、かつて社長だった村井邦彦さんの古稀のお祝いということでスタートしました。〜〜〜練習で初めて会ったのがこの方々で、鈴木茂さんと林立夫さんとはスタジオミュージシャンのバイトをやってたからときどき会っていたのよね。細野さんとは〜〜〜まったく初対面だったのはあの方で、超(伸ばすような言い方)印象悪くて〜そんな感じです。〜〜〜(人とのつながり)これも村井イズムがもたらしたものと思って感謝しています。次にお送りする曲は名前が変わる一年くらい前に創った曲なんですけど、高速道路の料金を無料化する奇跡は起こせなかったんですけど・・」
      ピアノから離れ『中央フリーウェイ』が始まった。1976年リリースアルバム『14番目の月』に収録、松任谷正隆のプロデュース。演奏はTin Pan Alley、コーラスには須藤美恵子、松岡奈穂美、今井マサキ。間奏に鈴木茂のギター、終盤に浜口茂外也のパーカッションが入った。
  • 直前まで演奏していた細野 晴臣

    • プレゼンテーターとして静かに登場した。MC「どうも、細野晴臣です。次にご紹介する方は、ほんと古い友達、音楽仲間では一番古い友達で小坂忠です。〜〜〜」小坂忠がギター持参で登場。
      歌は1975年リリース『ほうろう』だが、当時レコーディングメンバーはTin Pan Alley。 本日の演奏はまさしくTin Pan Alley、キーボードに武部聡志、コーラスに須藤美恵子、松岡奈穂美、今井マサキが配置。上手にはドラムの高橋幸宏がサポートメンバーで登場。間奏に鈴木茂のギター、コーラスが入った。
      次の曲間のMC「どうもお久しぶりです。〜フローラルというバンドが、最初でした。そしてそのフローラルのシングルレコードの曲を書いてくれたのが、村井さんでした。〜〜〜ティンパンにもう一人ドラムが加わりました。高橋幸宏です。じゃあもう一曲お送りしまう、機関車です。」同じく1975年リリース『機関車』は、鈴木茂のギターでスタート。コーラスは、松岡奈穂美だけになった。しかし小坂忠の歌声にはしびれた、マイクを離しての歌唱は素晴らしかった。間奏と終盤に鈴木茂のギター、コーラスには松岡奈穂美が入った。このメンバーで演るのはレコーディングと同じような音色なんだろう、小坂忠は気持ちよく歌っていたように思う。
オーチャードホール 全景
公演後半
  • 次は桑原 茂一で、MCだけだった。しかも10分ほどの話

    • そして引き続きのプレゼンテーターは、向谷 実が登場。MC「どうもこんばんは、向谷 実です。〜〜〜(アルファレコードが田町にあったときのレコーディング時の話など)〜音楽のみならず、鉄道の方でも頑張っています。お帰りの際にですね、この近くには渋谷駅の東横線3番線、4番線の発車メロディが私のです。必ずお聴きになってお帰りいただけたらと思います。〜私が紹介するのは一見難しいそうだなと思われちゃってるかなと、本当はキュートなんです。〜そんな素敵なシンガーソングライターとしては最高峰だと、この方を私から紹介させていただきます。吉田美奈子!」
      武部聡志のキーボードから、直後はコーラスもスタート。そして吉田美奈子の張りのある歌声が始まった。演奏はハウスバンドと須藤美恵子、松岡奈穂美、今井マサキのコーラス。 歌は『朝は君に』、1976年リリース3作目アルバム「FLAPPER」に収録。楽曲は作詞:吉田美奈子、作曲:佐藤博で村井邦彦がプロデュース。間奏に武部聡志のキーボードと鳥山雄司のギターが入るも、吉田美奈子がそれぞれをオーディエンスに紹介する。終盤の鳥山雄司のギターで終わった。
      MC「皆さんこんばんは、吉田美奈子です。〜〜〜最初に歌いましたのは朝は君にで、この曲は佐藤博さんの曲です。佐藤さんは亡くなってしまいましたが、たぶん今日おそらく見ていると思います。そしてもう一曲お送りしたいんですけど、その作曲した方ももうここにはいらっしゃいません。〜今日は大瀧 詠一さんの夢で逢えたらを〜〜〜」
      大瀧 詠一が作詞作曲し、1976年吉田美奈子が最初に歌った『夢で逢えたら』。須長和広がウッドベースに代えてのハウスバンド演奏とコーラスだ。浜口茂外也のフルートと武部聡志のキーボードでスタート、途中に歌と武部聡志のキーボード伴奏だけになり、歌の終盤は台詞が入る。歌声にはパンチがあるがなんとも優しい響きがあり、終盤のコーラスとの合唱は聞き惚れてしまう。最後に「フルート浜口茂外也」と紹介したのは印象的だった。
  • プレゼンテーターとして登場したのは紙ふうせん

    • 紙ふうせんと村井邦彦とのなれ初めは、46年前だそうだ。当時コンテスト優勝のお二人に、東京からポルシェに乗った村井邦彦が二人の住まいだった兵庫県尼崎市に来られたそう。話の内容は、何か大げさに言われているような気がしてならない。関西出身の二人が揃えば、夫婦漫才になってしまう。そんな二人が紹介するのは、サーカスだった。
      『Mr.サマータイム』が、コーラス無しのハウスバンド演奏で始まった。1978年日本語カヴァー曲、シングルとして大ヒットしCMに採用され第29回NHK紅白歌合戦に初出場となった。MCでわかったのだが、歌っているのは旧メンバーだ。声が多少低くなっているが、絶妙なハーモニーの上手さは変わっていなかった。
      歌終了後の叶 高MC「みなさん、こんばんは。アルファミュージックライブにこうやって呼んでいただき、ありがとうございます。そして村井邦彦さん、卒寿」「古稀!」(姉)「古稀おめでとうございます。〜〜〜」相当緊張していたのかもしれないが、叶 高の顔が引きつっていたようにも感じられた。話の内容は、2年ほど前にメンバーを入れ替えたことに触れ、またアルファのディレクター有賀さんに音程などを鍛えられたことも話された。そして新メンバーの叶ありさと吉村勇一をオーディエンスに紹介する。
      次の曲『アメリカン・フィーリング』前に、旧メンバーの原順子と叶央介は退場。新メンバーでの楽曲披露となった。1979年アルファレコードよりリリース、竜真知子:作詞、小田裕一郎:作曲の名コンビに坂本龍一編曲。こちらもCMに採用され、紅白歌合戦出場となったのだ。武部聡志のキーボードでスタート、間奏の鳥山雄司がギターを奏でたとき、サーカスのメンバー皆が鳥山雄司に向いていたのが印象的だった。そして終盤、旧メンバーだった原順子と叶央介も加わりの圧巻のコーラスで終了。
  • プレゼンテーターとして登場したのは坂本美雨

    • 云わずと知れた父は坂本龍一で母は矢野顕子である。村井邦彦に自分の両親が世話になったことへのお礼、自身でも説明されたが2ヶ月前に子供ができ、偉大なるアーティストふたりはおじいちゃんとおばあちゃんであると、オーディエンスの笑いを誘っていた。この年代は非常に元気であり、なぜにと思うことがあるとも。そして父坂本龍一より年上のブレッド&バターを紹介する。
      ハウスバンドのドラム河村"カースケ"智康が両手に持ったスティックを合わせたワンツーで『あの頃のまま』がスタート。ハウスバンド演奏でコーラスも。この曲は1981年アルファレコードよりリリース、呉田軽穂:作詞作曲、編曲:細野晴臣・松任谷正隆で楽曲提供。 曲終了後、岩沢幸矢のMC「こんばんは、あらためまして弟の二弓です。幸矢です。僕らは茅ヶ崎で育ったんですけど70年代後半にガレージだったんですけど、自分たちのお店を作りました。カフェブレッド&バターというお店なんですけど〜そこに色んなミュージシャンたちや色んな人たちが集まったりで毎日飲んで食べてばっかりで遊んでばっかりで、なかなか曲が作れなかったんですけど、ユーミンがあるとき僕らに書いてくれたのが今のあの頃のままだったんです。〜〜〜」
      そして次の『MONDAY MORNING』は、鳥山雄司のギターと武部聡志のギターでスタート。1980年アルファレコードよりリリース。ギターでスタート、間奏も鳥山雄司のギターが入る。その間奏では、弟の岩沢二弓が鳥山雄司に合図を送っていた。実は以前のライブ「湘南ブレッド&バター」のMCでお二人が、鳥山雄司について触れられたことがあった。鳥山雄司が学生時代に茅ヶ崎に住んでいたころ、ブレッド&バターのお二人に可愛がられていたようだ。お二人にとってギターばかり弾いているイメージしかないようだ。お二人にとっては、可愛いだろうな。
  • 曲終了後、「ありがとうございました」と岩沢 幸矢

    • MC前にコーラスと岩沢二弓が退場した。引き続きプレゼンテーターとして岩沢 幸矢が紹介するのはコシミハルで、楽曲は『La Vie en rose(エディット・ピアフ)』。ハウスバンド演奏、鳥山雄司はアコースティックギター、須長和広はウッドベースに変更した。コーラス無しで武部聡志のキーボードがスタートする。
  • 次にプレゼンテーターとして登場したのは鮎川誠

    • ステージには、ドラムセットとアンプだけのシンプルなものになっている。「こんばんは、シーナ&ロケッツの鮎川誠です。今日は皆さん、ありがとう!来てくれて。僕らの村井さんのアルファレコードのお祝いのコンサートの一員になれて、最高にうれしいです。どうぞ、よろしくお願いします。〜〜〜」必死にロック調で話しているのが、感じられた。それはオーディエンスに向けてではなく、相棒であり仲間であり妻であり最高のパートナー、今年2015年2月14日天国にめされたシーナに向けてではないか!と思った。一緒に歌おう!ロックしようと・・・本当に愛されているんだな・・・
      鮎川誠がギターコードをアンプに繋げるや否や、シーナ&ロケッツの『ユー・メイ・ドリーム』が始まった。1979年アルファレコード移籍後、アルバム「真空パック」をリリース。収録の楽曲は作詞:柴山俊之、作曲:鮎川誠・細野晴臣が担当だった。この曲の中盤少し前から、ステージ後方にスクリーンが登場。画は生前のシーナ、今ステージで歌っているかの錯覚を起こしそうだった。
      2曲目『LEMON TEA』、1981年アルファレコードからリリースのスネークマン・ショーに収録。バックの映像はないが、メンバー3人でのロックには感動した。
      そして次にプレゼンテーターとして登場したのは高橋幸宏。紹介したのは、日向大介 with encounterで『Hot Beach』を披露された。
  • 次のプレゼンテーターを紹介するジョン・カビラの声は「Yumi Matsutoya!」

    • 黒の肩出しドレス、首からデコルテにかけてビジュー、左中指にダイアモンド、髪型はひとつ縛りのロングヘアーを右側に流していた松任谷由実として紹介されたユーミンが、上手から登場。
      「再び出て参りました。こうやってずっとあの頃の音楽を聴いていると、なんだか不思議な気持ちになります。どうだろう・・・アルファの芝浦スタジオの待合室から川が見えました。〜〜〜みんな苦しみながら、もがきながら作っていたんだなって思います。あの頃は、アルファのアーティストが一堂に会する機会もなかったし、若くて自分の音楽が一番だ、なんて思っている人たちばかりだったから、たまにすれ違っても挨拶する程度で、 仲良くなるなんて事はなかったんですが、こうやって並べて聴いてみると全員に共通するカラーが確かにあるんですね。〜〜〜さて、アルファがアルファとして輝いていた時代、それは70年代だという人もいますが、このグループによって世界の扉を開いた80年代初頭が、 やはりアルファがもっとも輝いていた時代だったんじゃないでしょうか。このグループの前と後では音楽はずいぶん変わりました。世界の音楽を変えたと言ってもいいのかもしれません。そして不幸なことに、このグループによって開かれた世界のドアが、アルファの幕を閉じる序曲になってしまうのです。では、そろそろこのショーの主役に登場してもらいましょう。村井邦彦さんです!そしてYMOの細野さん、幸宏さんお願いします。」 盛大な拍手の中、村井邦彦がピアノの前に細野晴臣はベースを持って座って待機、高橋幸宏は上手にあるドラムに座っていた。そして村井邦彦が口を開いた。
      「細野さん、幸宏さん一緒に演奏するなんて、生まれて初めてだね。」幸宏「こんなことが起こるなんて人生初めてで、想像もしていなかったです。」村井「本当にYMOの坂本くんが来られないと云うんで、細野さんが半分冗談で坂本くんが来られないならぜひ演りましょう!〜〜〜」村井邦彦と細野晴臣、高橋幸宏との会話が進んでいった。 そして村井邦彦のピアノが奏でられる『RYDEEN』が始まる。サポートメンバーには、故大村憲司さんの息子大村真司がギターを担当、ドラムは高橋幸宏と林立夫の息子林一樹、ベース細野晴臣、ギター鳥山雄司、キーボード武部聡志と本間 昭光、コーラスに須藤美恵子、松岡奈穂美、今井マサキ。1980年アルファレコードよりリリースで、作詞作曲に高橋幸宏、編曲に細野晴臣で制作。今回は村井邦彦がアレンジをし、ピアノで奏でられた。ちょっとだけ歌うのは、村井邦彦、高橋幸宏とコーラス今井マサキであった。そして間奏に、大村真司のギターが入った。父の故大村憲司さんの優しく奏でられた音に似たような感じがしたのは、私だけかな・・・終盤には高橋幸宏のドラムが入り、村井邦彦アレンジ曲が終わった。
本編終了間際とアンコール
  • 終了後に村井邦彦のMCが入った。

    • 「どうもありがとうございました。ライディーンのアレンジ、いかがでしたでしょうか?今日は40年も前に一緒に音楽を創ってきた仲間たちと、こういう音楽ができてまるで夢を見ているような気分です。〜〜〜お楽しみいただいているんでしょうか?僕は楽しくてしょうがありません。〜〜〜本当に僕はラッキーだったと思います。〜昨年、ユーミンとマンタと細野くんと一緒にライブを演ろうって、話はどんどん大きくなって今日のような大きなものになってしまいました。〜〜〜」
      「〜〜本当に残念です。今日ここに来られなかった仲間たちがいます。(スクリーンが降りてきた)生きていたら必ずこの場に来てくれた仲間たち、この場を借りて紹介させてください。」アルファミュージック及びアルファレコードに所縁のあった故人をスクリーンに映し出しながら、村井邦彦が次の順番で紹介した。バックには『音楽を信じる We believe in music』のピアノ伴奏だけが軽く流れていた。フィフィザフリー曽根隆さん、ドラム石川晶さん、ベーシスト江藤勲さん、飯吉馨さん、桜井英顕さん、なかたにのぞむさん、黛敏郎さん、山本俊彦さん、大村憲司さん、日高富明さん、堀内護さん、服部良一さん、田辺信一、佐藤博さん、深町純さん、シーナさん。最後に「〜〜〜本当にどうもありがとうございました。」で締められた。
      余談だが、管理人の出身大学で2年先輩に大江千里さんがいる。千里先輩はプロデビュー前に、アルバムリリースが決まっていて大村憲司さんがプロデュースすることになっていた。そして大学在籍時だったので、授業が終わると近くにボイストレーニングをしに行っていた。それが紙ふうせんのご夫婦のところだった。ライブを鑑賞しその人間関係などを確認すると、故大村憲司さんと紙ふうせんのお二人は元は赤い鳥メンバーだったのだ。その関係があったから、ご縁でプロデビューできた経緯があったんだと今になって再確認できた。
  • 続いて村井邦彦が紹介されたのは父親が偉大なアーティストだった子供たち

    • ギター大村真司(父は故大村憲司)、ドラム林一樹(父は林立夫)、ヴォーカルAsiah(父は小坂忠)を紹介された。演るのは1971年リリース、作詞:山上路夫、作曲・編曲:村井邦彦の『翼をください』。変則バンド(村井邦彦/ピアノ、武部聡志/キーボード、須長和広/ベース、大村真司/ギター、林一樹/ドラム)で演奏。歌うのはAsiah。村井邦彦のピアノと武部聡志のキーボードからスタート、間奏に大村真司のギターが入った。途中に紙ふうせんの後藤悦治郎・平山泰代・村上"ポンタ"秀一が入場してスタンバイ、ドラムには村上"ポンタ"秀一が加わり、後藤悦治郎・平山泰代の歌唱が少しあり最後はAsiahと3名で歌唱する。優しくもあり迫力も加わった、昔の曲がパワーを増した楽曲となって披露された。歌終了後に、村井邦彦から平山泰代・後藤悦治郎・村上"ポンタ"秀一が紹介された。
  • ライブのために制作した楽曲は作詞に山上路夫、作曲に村井邦彦

    • 「2日間だけのショーだったけど〜〜今日のショーを創るにあたって、新しい曲をお送りすることになりました。〜(楽曲制作にあたり作詞を山上路夫氏に依頼した。しかし現在入院中のためだめだと思ったが快諾してくれてできあがった)〜最後ですけど、小坂忠さんとお嬢さんのAsiahさんに歌ってもらいます。入院先の上さんのところに届きますように。」 そして、村井邦彦の奏でるピアノでスタートした。そのピアノ伴奏で歌い始めたのはAsiahで、次のパートでは小坂忠が歌い始めた。演奏は、変則バンド (村井邦彦/ピアノ、 村上"ポンタ"秀一/ドラム、 武部聡志/キーボード、須長和広/ベース、大村真司/ギター、林一樹/ドラム、コーラス)。終盤は大村真司のギターが入る。終了後、村井邦彦が小坂忠とAsiahとハグし、下手へさがっていかれた。感動的なシーンだった。
  • 場内は暗転になるがアンコールを求める拍手が鳴りやまず

    • ピアノがステージセンターへ移動される。大きな拍手の中、村井邦彦が一人で登場。スポットライトがあたる中MCが始まった「皆さん、皆さんありがとう。ミュージシャンや制作をしてくれた人たち皆に感謝したいです。何よりもこういうことをさらっと決めてくれた神様に感謝したいです。1973年に山上路夫さんと一緒に書いた曲、美しい星というのがありますがそれを演ります」とすぐにピアノを奏でた。『美しい星』、自身のピアノ伴奏で歌うその声はなんとも優しい声、優しい音だろうか。途中頭上にスクリーンが降りてきて、スタッフロールが流れた。多くの人々が、2日間のためにだけ関わっているのかがわかるのだ。
      カーテンコールに出演アーティストが登場。雪村いづみは、加橋かつみに支えられて登場した。センターに村井邦彦が満面の笑みで立ち、オーディエンスに手を振っている。黒のショートパンツにカーキのジャケット、黒のベルト、前髪にボリュームのあるリーゼント風のユーミンはその後ろに、控えるように立っていた。時計に目をやると、22時30分の針を指していた。

以上のように公演は、アカデミー賞授賞式のようにプレゼンテーターが登場しアーティストを紹介するもの。ヴォーカルやバンドなど合わせて50名ほどのアーティストが、代わる代わるステージに立つ豪華なステージとなった。 初日は3時間40分の長丁場となり、集中力との戦いとなった。メモを取りながらの鑑賞は、いつにも増して楽しかった。多感な少年時代に聴いていた曲ばかりで、ノートはなぜかにじんでいて見えにくいところがあった・・・

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